一般社団法人 沖縄県野球連盟概要
概要
アマチュアスポーツとしての軟式野球は、幅広い年齢層が楽しめて、野球競技をとおしてスポーツなどの社会・文化活動に貢献し、競技力向上を目指しています。沖縄県野球連盟
少子化やスポーツの多様化に伴い、野球に対する捉え方も変化しつつあるが、軟式野球に親しむ少年・少女に夢と希望を与え、
また、軟式野球をとおして地域における少年スポーツクラブの振興を図り、21世紀を担う少年・少女の心身ともに健全でたくましい育成に取り組んでいます。
県下8支部(北部支部、中部北支部、中部南支部、那覇支部、南部支部、久米島支部、宮古支部、八重山支部) 学童17ブロックで組織し、学童(約236チーム)少年(約104チーム)、一般(約514)チームが登録しています。
沿革
太平洋戦争で日本の固有の領土で唯一地上戦が行われた沖縄。沖縄戦で日米併せて
20万人余、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。
捕虜収容所内で米軍支給の用具で班別の対抗を行ったのが、戦後沖縄野球の始まりである。
それに続く米軍の統治下、統治権者である米軍は野球をアメリカの国技と見ており、用具の提供や大会開催に協力を惜しまなかった。荒廃した県土で県民は茫然自失の体であったが、その中で野球はいち早く活動開始ができた団体の一つであった。
しかし、1972年(昭和47)の祖国復帰まで沖縄は他府県とは異なる道筋をたどることになる。例えば、他府県への往来に米国民政府発行のパスポートや検疫証明が
必要であった。この事は県代表チームを送り出す場合や、他府県チームの来県を得て大会や親善交流を行う上で多大な影響があったことは否めないことであった。
野球は戦前からの人気スポーツであり県内球界を一丸とすべく、1949年(昭和24)
9月那覇市で県野球連盟が結成されたが、これは硬式、軟式を含めた統合の組織であった。
その後、行政が本土から分離された事情もあり、全軟連への加盟は1966年(昭和41)になった。連盟事務所は、理事長宅やその事務所を借用し運用していたが、1960年(昭和41)の県営奥武山球場の竣工を機に同球場に事務所を移転した。奥武山球場(現沖縄セルラースタジアム那覇)の新築・改装に伴い、2006年(平成18)那覇市港町の沖縄港湾労働者福祉センターに移転し現在に至っている。
沖縄県審判協会対福岡県支部との交流試合(1982年 久留米市野球場)
第42回国民体育大会(海邦国体)秋季大会軟式野球競技(1987年10月)
「国破れて山河なし」の状態から、戦後まもなく県連の主催したクラブ対抗職域野球大会が、県民が希望をもって明日の郷土復興に邁進する一助になったことは間違いない。
野球界で祖国復帰までの本土との交流を主に担ったのは、高校野球であり、硬式の社会人野球であった。現今の全国レベルに達した高校野球の隆盛も「青少年の健全育成」を合言葉に、県連が学童野球、少年(中学校)野球大会の運営に尽力し、審判員各位の献身的な貢献があったことも大きい。
少子高齢化が急速に進み、多くのスポーツが広く愛好される中、当県連は九州八県で登録数一、二位を競う野球愛好家の多い県である。
生涯スポーツとして親しまれている軟式野球の更なる発展と、女子野球のプレーする場づくりの支援に尽力していきたい。
令和4年5月26日、一般社団法人 沖縄県野球連盟を設立。
天皇賜杯第67回全日本軟式野球大会ポスター(2012年10月)
全国大会栄光の足跡
【一般】
国民体育大会
2022年(令和4年) 第77回大会(栃木)沖縄選抜 優勝
2022年(令和4年) | 第77回大会(栃木)沖縄選抜 優勝 |
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2019年(令和元年) | 第74回大会(茨城)沖縄選抜 4位 |
2007年(平成19年) | 第62回大会(秋田)一般A 沖縄選抜3位、成年 沖縄選抜7位 |
2004年(平成16年) | 第59回大会(埼玉)一般B 沖縄選抜3位 |
2002年(平成14年) | 第57回大会(高知)一般B 沖縄B 準優勝 |
2000年(平成12年) | 第55回大会(富山)一般B 那覇B 3位 |
1987年(昭和62年) | 第42大会(沖縄)成年 経済連チーム 優勝、 第42大会(沖縄)少年 翔洋クラブ 準優勝 |
高松宮賜杯(1部)
2014年(平成26年) | 第58回大会(愛知)海鮮料理浜の家ノンシュガー 準優勝 |
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高松宮賜杯(2部)
2011年(平成23年) | 第55回大会(福岡)丸石ラジエーターカプス 準優勝 |
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西日本(1部)
1999年(平成11年) | 第21回大会(大分)ルート330 優勝 |
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西日本(2部)
2018年(平成30年) | 第40回大会(鳥取)総合建設業伊禮組 優勝 |
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2006年(平成18年) | 第28回大会(宮崎)SSKスポーツ社ELVEN 準優勝 |
2003年(平成15年) | 第25回大会(徳島)タラソ沖縄inぎのざ 準優勝 |
1996年(平成8年) | 第18回大会(大阪)カラオケ居酒屋飛衣羽衣 準優勝 |
1995年(平成7年) | 第17回大会(広島)ステルス小禄 優勝 |
1993年(平成5年 | 第15回大会(沖縄)鏡原バットマン 優勝 |
1992年(平成4年) | 第14回大会(徳島) うえちスポーツクラブ 準優勝 |
1988年(昭和63年) | 第10回大会(和歌山) 沖縄電力 優勝 |
1984(昭和59年) | 第6回大会(奈良) 自治労石垣 準優勝 |
【少年・中学】
全日本少年
2015年(平成27年) | 第32回大会(神奈川)豊見城中学校 優勝 |
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2012年(平成24年) | 第29回大会(神奈川)東風平中学校 準優勝 |
2008年(平成20年) | 第25回大会(神奈川)あげな中学校クラブ 準優勝 |
2002年(平成14年) | 第19回大会(神奈川)上本部中学校クラブ 優勝 |
1994年(平成6年) | 第11回大会(神奈川)東江中学校クラブ 準優勝 |
【学童】
高円宮賜杯 全日本学童
2018年(平成30年) | 第38回大会(東京)根差部ベースナイン 準優勝 |
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2001年(平成13年) | 第21回大会(茨城)八島マリンズ 優勝 |
1998年(平成10年) | 第18回大会(茨城)神森ロイヤルズ 優勝 |
1993年(平成5年) | 第13回大会(茨城)仲井真ライオンズ 準優勝 |
1984年(昭和59年) | 第4回大会(滋賀)嘉手納北区ライオンズ 準優勝 |
【女子】
全日本女子学童
2019年(令和元年) | 第7回大会(愛媛) 沖縄ガールズ 3位 |
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2016年(平成28年) | 第4回大会(埼玉) 沖縄ガールズ 3位 |
役員名簿(令和5年度)
顧 問 | 松田 康永古波蔵 廣 |
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参 与 | 新城 龍夫(那覇支部) |
会 長 | 又吉 民人(代表理事) |
副会長 | 古堅 剛(理事兼北部支部長)宮城 秋夫(理事) |
理事長 | 前西原 裕(業務執行理事) |
理 事 | 立尾 肇(事務局長兼総務部長)宮里 勝(中部北支部長)福里 守夫(中部南支部長)仲間 好人(那覇支部長)高安 定(南部支部長)上原 幸雄(久米島支部長)平良 武(宮古支部長) 宮城 良明(八重山支部長) |
監 事 | 吉野 潤(中部北支部)仲里 修(中部南支部) |
審判部長 | 仲村 貢(北部支部) |
審判副部長 | 大城 誠(南部支部) |
強化部長 | 澤岻 健三 |
強化副部長 | 渡嘉敷 徹 |
学童部長 | 仲村渠 聡(中部北支部) |
学童副部長 | 大湾 政芳(南部支部) |
少年部長 | 米田 善行(中体連) |
女子部長 | 仲本 裕樹 |
定款
以下のPDFデータにてご確認ください。
(PDF:200KB)